あま市 七宝焼アートヴィレッジ
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〒497-0002
愛知県あま市七宝町
遠島十三割2000
TEL 052-443-7588
FAX 052-443-7122

資料解説 七宝資料集12「林貞七宝店資料よりみる戦後の尾張七宝産業界」

収録資料を所蔵していた林貞七宝店は遠島(あま市七宝町遠島)で明治初期から七宝業を営んでいる七宝窯元です。資料集11に所載した資料と合わせて過去の資料を持っています。この資料集では、伝統的な七宝技法を保存するために、熟練した職人に伝統的な作品制作を依頼した書類や、販路開拓のために百貨店にて催した展示会の資料、戦後新たに発足させた同業組合の定款などを収録しました。巻末には、これらの事業を主導していた愛知県工業指導所の中心人物による、七宝業界への提言などが興味深い内容です。

資料解説 七宝資料集11「七宝技術研究会と『七宝前史』」

七宝技術研究会とは、太平洋戦争後、長らく中断していた日本の七宝業の販路の開拓と技術の保全のために愛知県工業指導所が主導して、県内の七宝窯元らが活動したものです。その活動の一環としてつくられたものが、収録した『七宝前史』で、手書きのガリ版で印刷して、限定的に関係者に配布されたものです。『七宝前史』はその題名が示す通り、日本の七宝が近代に国内外に広く知られることになる前までの七宝の歴史を記したもので、昭和28年に編集されましたが、編者の個人名は不明です。巻頭には、この後に『七宝再興史』『七宝発展史』が続刊される予定と記されていますが現在、それらが編まれた跡はみられないのが残念です。それでも、編集時点ではおそらく唯一といっていい七宝の歴史をまとめたものであり、たいへん貴重な資料です。

 

資料解説 七宝資料集10「七宝歴史講座資料1」

当館では毎年七宝歴史講座として、学芸担当者が、七宝の歴史に関するテーマを年に3回講義形式で実施しています。基本的には年に3回の実施で、その第1回目は初めての方でもわかりやすく、七宝の歴史を一から解説する回で、2回目と3回目はテーマ編として、毎回異なるテーマのもと、七宝の歴史や、関係する人物、事件などについて深く解説するものです。七宝という狭い分野のテーマですが、いろいろと掘り下げていくと意外な事実に気づいたりします。本資料集ではそんな歴史講座の内容を2009・2010年度に開催した回について資料掲載しました。特に第一回目の七宝の歴史編は手軽に七宝の歴史を知るためには格好の内容となっています。

資料解説 七宝資料集9「七宝焼アートヴィレッジ所蔵作品目録 七宝作品の部」

当館が七宝焼の展示施設である以上、収蔵作品の中心は七宝作品であることは当然ですが、これらの来歴は様々です。収蔵の分類だけでも、購入したもの、寄贈を受けたもの、預かっているもの(寄託または借用)というように分かれています。これらの作品の中には、常に展示室で来館者の方に見てもらっているもののほかに、企画展などで、一定期間のみお披露目しているものの方が多いため、なかなか当館の所蔵品について知ることが難しいです。そのため、本資料集では、2016年時点での収蔵資料の一覧を作成しました。

資料解説 七宝資料集8「七宝焼アートヴィレッジ企画展10年のあゆみ」

七宝焼アートヴィレッジでは、現在基本的には年に4回のペースで企画展示を実施しています。これは施設開館後の最初の2004年(平成16)10月の企画展以来変わらぬペースです。企画展の内容は、すべて七宝に関わるものですが、時代や製作場所などは様々なものを取り上げてきました。地元の尾張七宝に関するものが割合としては多いですが、時には東京の濤川惣助や京都の並河靖之という七宝の帝室技芸員に選ばれた人物の作品や、現代の七宝作家たちの作品を集めた展示など、幅広いものです。これらの展示内容の一覧を平成16年の第一回目から平成27年1月の47回目までについて収録したものです。

 

資料解説 七宝資料集7「塚本貝助家文書」

塚本貝助は、遠島(あま市七宝町遠島)出身の尾張七宝草創期の代表的な人物ですが、地元にはほとんど資料が残っていません。その理由の一つが、明治の早い時期に東京へと招かれて、兄弟や子とともに移住し、活動を東京に移したからです。貝助はここで、近代七宝の創始者ともいえるドイツ人化学者ワグネルと出会い、その影響のもと七宝釉薬を完成させました。貝助の影響を受けた七宝職人たちはその後も東京に残り、七宝家の帝室技芸員濤川惣助のもとで仕事を続け、濤川惣助の名で発表された作品の数々や、今に残る赤坂迎賓館の花鳥の間にある七宝額をつくりました。貝助の東京時代の消息は詳しくわかりませんでしたが、親族の方より様々な書簡や貝助の釉薬調合簿をご寄贈いただき、これを資料集として所載しました。

資料解説 七宝資料集6「遠安工業補習学校資料」

遠安工業補習学校とは、七宝焼の徒弟養成を目的として明治27年に設立された学校で、校名は七宝業が盛んだった海東軍宝村の遠島地区と安松地区の文字をとってつけられたものです。設立当時の尾張七宝は国内外の博覧会等へ出品して大いに注目を浴びていた時期で、産地としても七宝生産の担い手を育てることを奨励していました。資料としては設立認可にかかわる行政文書のほか、毎日の日誌など、学校での出来事を記したものも含まれています。この学校は国内外での尾張七宝人気の衰退とともに設立の十数年後には廃絶したため、詳細を記したものが他になく、貴重な現存記録です。

資料解説 七宝資料集5「博覧会資料」

明治期の博覧会関係の資料を集めたものです。万国博や内国博で受賞した窯元の褒状やメダルのほか、各種博覧会に出品する際に愛知県知事を通して農商務大臣あてに提出した出品願いや変更届の写しなどがあり、博覧会への出品手続きの一端がわかります。中には当初出品予定から3割近く減少したことを願い出た記録があり、七宝製作が計画の通りにはなかなか進まなかったことがうかがわれる内容もあります。巻末には研究ノートとして博覧会における尾張七宝の位置づけや地元で設立された七宝工の養成学校についてまとめたものを収録しています。

資料解説 七宝資料集4「七宝工下絵集 粂野忠三郎家 伊藤常三郎家」

明治期に当地で作られた七宝の下絵集です。粂野忠三郎は明治前期に沖之島村(現あま市七宝町沖之島)で活躍した七宝工で、1889(明治22)年のパリ万国博に出品して褒章を受けた記録があります。ここで使われた下絵は大型の皿や花瓶なども多く、色鮮やかで詳細な図が多く残されています。伊藤常三郎家は江戸末から大正にかけて三代にわたって七宝業を営んでいた家で、1889年のパリ万国博での褒章記録や内国勧業博覧会への出品記録があります。残された下絵は大型のものから小型の量産品用のものまで幅広くあり、時代の移り変わりを感じさせるものです。

資料解説 七宝資料集3「七宝窯元 伊藤常三郎家資料」

伊藤常三郎家は、江戸末から大正にかけて遠島(あま市七宝町遠島)にて七宝業を営んでいた家で、1881年の第二回内国勧業博覧会や、1889年のパリ万博に出品記録が残っている当地でも草創期より七宝業を営んでいた窯元です。所蔵資料の中には、陶磁胎七宝の仕掛品や、七宝図柄の下絵などのほか、取引書類などがあります。この資料集に所載したものには、明治末年一年間の取引書類があり、ここから当時の取引量や内容、価格などがわかり、面白い資料です。また、一枚ものの資料「愛知七宝商工同業組合人名」は、明治30年ころの愛知県内の七宝業関係者名が183人列挙されていて、貴重な内容です。

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