2020年06月17日
七宝にはもともと花の図柄を用いたものが多いですが、ここでは、中でも花の図柄をもつ名品たちを集めて紹介しました。金属線で丹念に縁取りされた花の文様などをみるとため息が出るような作品が集まりました。館蔵品に加えて京都の清水三年坂美術館、名古屋市博物館、安藤七宝店所蔵の作品がならびました。(2008年刊)
七宝焼について、もっとも基本的な材質とか構造について、典型的な例を並べて解説しました。出品作品は館蔵品と、地元の方の所蔵品を紹介しました。解説に合わせて、常設展示に出ていない珍しい作品を出展しました。(2007年刊)
前出の東海支部七宝作家作品展と同じ考えのもと、(社)日本工芸会所属の七宝作家の中から富山・近畿・中国・四国・西部の各支部の正会員・準会員・研究会員の方たちの中からこの催しに参加していただけた20人から30点の作品を紹介しました。ここで参加いただいた七宝作家の方は東海支部と異なり、女性の割合が圧倒的に多いのが特徴といえます。現代作家さんのさまざまな作品を御覧いただきました。
(社)日本工芸会にはたくさんの七宝作家さんが所属していますが、その中で、地元の東海支部に所属している正会員・準会員・研究会員の方たちの作品を紹介するものです。東海支部の七宝作家の特長は、名古屋市やあま市に在住している人を中心に、七宝業を生業としている人の割合が多いことです。いわゆるプロの手による現代工芸作品を含めて御覧いただきました。(2007年刊)
赤透(あかすけ)は赤色の透明釉薬のことで、この釉薬を用いて作られた七宝作品に対しても使われる名称です。赤色の透明感のある光沢が宝石のルビーに似ていることもあり、外国人にも大きな人気がありました。この釉薬が発明されたのは明治の前期に名古屋の七宝家太田甚之栄のてによるものとされています。明治期から現在に至るまで、人気のあるこの赤透七宝の名品を館蔵品以外に京都の清水三年坂美術館、名古屋市博物館の所蔵品などとともに紹介しました。(2006年刊)
2020年06月16日
この展示では、明治期を中心に、様々な技法や材料をもとに作られた七宝を分類して紹介しました。明治期に入って本格的に改良が進んだ七宝は、それ以前に比べてとても多くの種類を生み出しました。これらの中から代表的ともいえる名品たちを館蔵品や名古屋市博物館、安藤七宝店などから借用した作品をもとに御覧いただきました。(2006年刊)
林 小傳治(はやし こでんじ)は、地元遠島(あま市七宝町遠島)の代表的な七宝窯元です。四代目まで代々襲名しましたが、初代小傳治は、幕末に七宝焼を携えて横浜へ行き、初めて外国人に七宝焼を販売したというエピソードがあります。初代小傳治は国内外の博覧会に出品して多くの賞を得て、尾張を代表する七宝家として国内外に知られました。この展覧会では林小傳治家に残っていた窯元関係の資料や作品のほか、名古屋の安藤七宝店、京都の清水三年坂美術館が収蔵する林小傳治作品を展示しました。(2005年刊)
明治期の京都在住の七宝家「並河靖之」の作品の展示図録です。並河靖之は海外にも広く知られた七宝家で、現在でも海外の七宝コレクターのもとにはたくさんの並河作品があります。並河靖之は、七宝家として最初の帝室技芸員となり、各種博覧会でもその名を知られました。そんな並河靖之の作品や下図などを、並河家が持つ京都の「並河靖之七宝記念館」と近代の名品を数多く所蔵する「清水三年坂美術館」から借用して展示しました。(2005年刊)
常設展示の解説のために作ったものですが、内容は近代七宝の歴史、関連人物紹介、製造工程の解説、代表的な技法の説明、名品の解説に技術伝承の系統図などを収録し、一冊で尾張七宝のすべてが理解できるように編集しています。近代以降の七宝について発祥の地として詳細な内容を取り込むよう心掛けました。(2011年刊)
この資料集では、遠島(あま市七宝町遠島)にて近代以降に活躍した七宝窯元に関する資料を収録しました。それぞれの人物の来歴に加えて、出版物等で紹介された文章も掲載しています。遠島に七宝技術を初めて移入しながらも広く知られることのなかった林庄五郎氏の顕彰碑の建立時に作られたパンフレットや、名古屋で活躍した権田廣助氏が初めて「ぼかし」の技術を会得したときのエピソードなど興味深い文章が含まれます。