塚本貝助は、遠島(あま市七宝町遠島)出身の尾張七宝草創期の代表的な人物ですが、地元にはほとんど資料が残っていません。その理由の一つが、明治の早い時期に東京へと招かれて、兄弟や子とともに移住し、活動を東京に移したからです。貝助はここで、近代七宝の創始者ともいえるドイツ人化学者ワグネルと出会い、その影響のもと七宝釉薬を完成させました。貝助の影響を受けた七宝職人たちはその後も東京に残り、七宝家の帝室技芸員濤川惣助のもとで仕事を続け、濤川惣助の名で発表された作品の数々や、今に残る赤坂迎賓館の花鳥の間にある七宝額をつくりました。貝助の東京時代の消息は詳しくわかりませんでしたが、親族の方より様々な書簡や貝助の釉薬調合簿をご寄贈いただき、これを資料集として所載しました。