遠安工業補習学校とは、七宝焼の徒弟養成を目的として明治27年に設立された学校で、校名は七宝業が盛んだった海東軍宝村の遠島地区と安松地区の文字をとってつけられたものです。設立当時の尾張七宝は国内外の博覧会等へ出品して大いに注目を浴びていた時期で、産地としても七宝生産の担い手を育てることを奨励していました。資料としては設立認可にかかわる行政文書のほか、毎日の日誌など、学校での出来事を記したものも含まれています。この学校は国内外での尾張七宝人気の衰退とともに設立の十数年後には廃絶したため、詳細を記したものが他になく、貴重な現存記録です。