尾張七宝の開祖といわれるのは梶常吉ですが、その尾張七宝の技を広めたのは、遠島村(現あま市七宝町遠島)の林庄五郎(一八三五~一八九六)でした。庄五郎は安政3(一八五六)年に梶常吉より七宝製法を伝授されましたが、これは、完全なものではありませんでした。氏はこれを完成したものにするべく日夜努めました。しかし、林庄五郎自身は七宝を完成させるところに至ることができないまま、失意のうちに、名古屋で生を閉じることとなりました。現在、庄五郎がつくった試作品が残されています。
ただし、庄五郎がその技術を伝えた塚本貝助など、遠島村の後継者らによって七宝製作技術は完成して、この地は七宝の一大産地となりました。こうした庄五郎の功績をたたえて、昭和37(一九六二)年に、七宝組合らの手によって林庄五郎顕彰碑が遠島八幡社境内に建立されました。
林庄五郎試作品