2020年06月30日
新たに収蔵品に加わった資料を展示室にて紹介しています。
「紫紺地立葵花瓶」林貞信 作
へこみのある器台に植線した技に注目です。実物は展示室にてご覧ください
長期間ご不便をおかけしましたが、7月1日より再開いたします。展示室観覧と体験教室ともに再開しますが、トップページに掲載のとおり、定員を減らすことなど、新たな制限がかかります。ごりかいのほどよろしくおねがいいたします。
なお、企画展示室にて「現代の七宝」展を7月12日(日)まで開催しております。ご来館をお待ちしております。
2020年06月18日
日本の七宝技術はもともと中国から朝鮮半島を経て伝わったと考えられていますが、韓国の古い七宝についての情報はあまり伝わってはいません。しかし、現代の作家さんの活動は盛んにおこなわれています。ここでは、現在の韓国の七宝作家の作品41点を紹介しました。
尾張から始まった近代七宝の技術は京都と東京へと流れそれぞれの地で発達し、京都では並河靖之、東京では濤川惣助というそれぞれ後に七宝分野で帝室技芸員に任命された人物を生み出しました。この展示では尾張の最初期の七宝が後に尾張でどのように発展していったか、京都と東京ではどのような製品となっていったかをそれぞれの代表的な作品を展示して紹介しました。ちなみにこの展示は令和初の行幸啓でご来館された天皇・皇后両陛下にもご高覧いただきました。(2019年刊)
日本の勲章は明治初めに定められてから、ずっと七宝が使われてきました。以前は委託された個人がつくっていたこともあったようですが、現在では独立行政法人造幣局が一手に製作をしています。ここで作られる勲章は天皇陛下のみが佩用する大勲位菊花章頸飾から一般のひとが叙勲を受けるものまですべてですが、これらの勲章の中から七宝を用いて作られた勲章をすべて造幣局のご厚意により借用して紹介しました。(2017年刊)
田村幸夫(1933~2009)は遠島(あま市七宝町遠島)の田村七宝の三代目として活躍した七宝家で、日本工芸会所属の七宝作家として初期のころより活動していました。製品として七宝をつくる窯元が中心の遠島において、氏は、作家として名を売る数少ない七宝家でした。展示では工芸展に出品した作品を館蔵と田村七宝所蔵の品から紹介しました。(2017年刊)
七宝には、花や鳥以外にも吉祥を表す文様が描かれるものがたくさんあります。それは、龍や鳳凰といった代表的なものを始めとして、鶴や亀、変わったところでは蝙蝠(こうもり)といったところが、めでたいしるしとして使われてきました。七宝製品のように長い時間身近に飾っておくようなものだけに人は縁起のいいものを求めたのかもしれません。これらの文様の作品の数々を館蔵品や寄託品、京都の並河靖之七宝記念館、清水三年坂美術館、名古屋市博物館の所蔵品などを紹介しました。(2016年刊)
七宝の製作工程を理解していても、実際に作ってみると思っていた以上にいろいろな手間がかかることがわかります。なにげない部分に多くの手間を使って、仕上がりを際立たせることなどがあります。こうしたことは、作品を外から見ているだけでは決してわからないこともあります。この展示では、そうしたさりげない七宝職人たちの技の跡を示しました。尾張と京都の七宝の名品たちをコレクターの作品で紹介しました。(2016年刊)
尾張七宝の特色の一つに、作品本体に銘が入っていないものが多いということがあります。しかし、名工と呼ばれる人の作品には銘が入っているものがあります。この展示では、尾張七宝の作品の中から作者がはっきりわかっているものだけを選んで、人物の紹介と合わせて作品を紹介したものです。かつて尾張地方に咲き乱れた名工たちの作品を館蔵品や安藤七宝店、清水三年坂美術館の所蔵品などから出展しました。(2015年刊)
この地域で七宝がつくられ始めて180年余、現在にいたるまで、さまざまな技法の変遷がありました。来館者の方々からは、古い名品もいいが、現代の作品も見てみたいというご意見をいただくことが多くあり、それに応えて館蔵品の中から明治期の作品と現代の作品を合わせて出展するとともに、昔の職人の写真と現代の職人の写真なども並べてみていただきました。(2014年刊)